yura*'s rakugaki diary

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

鍵のない夢を見る

鍵のない夢を見る

鍵のない夢を見る

2018年5月3日

 

気づいたら今週も木曜日。早い。

 

胃の診察の待ち時間に辻村深月先生の「鍵のない夢を見る」を読んだ。

 

ダウナーな心情描写の精緻さが光る作品だった。村社会での窃盗や、放火、訳ありカップルの逃亡、はたまた綺麗な夢を追い続けるための殺人、ベビーカーに乗せた赤ちゃんの誘拐など、センセーショナルな内容を短編としてまとめた内容となっている。

 

それぞれの話に関係性はないが、どれも人間の感情を一人称で確かな説得力を持って表現している。時に歪んでいるのは社会の方で、その間違いに対して真っ直ぐな子供の視点で疑問を投げかけたり、逆に自分の考えが正しいと思い込み、入ってくる情報を選択的に解釈したり。あるいは間違いに気づきながらも抜け出せなかったり、気づかないように抑えていたり。

 

辻村作品を読んで、いつも怖くなるのが、卑屈な感情であったり嫉妬であったりという、人間の闇の部分にあたる心情描写が、すべて自分のことを指摘されていると思うほど理解できてしまうということだ。

 

ハッピーエンドの作品であれば、そういう自分でも希望はあると思えるのだが、いかんせん、今回の作品は最後の1話を除いてハッピーエンドとは言い難いので、お腹の底に重たいものを抱えたまま次の話へ進むこととなった。

 

最後のお話は人間讃歌ともいうべきハッピーエンドの作品で、救われた。ネタバレになってしまうのだが、最後に警備員が「よかったですね、よかった」というセリフがあり、今までの流れで、もっと辛辣な言葉が出てくるのではと緊張した。さすがに、母となった辻村先生は、そこまで落としてくることはなくてホッとした。

 

タイトルでもある「鍵のない夢」とは寝てみる夢ではなく、おそらく起きて叶える方の夢であると思う。「鍵のない」というのは、合うことがない男女間、あるいは人間同士のズレと、文字通り開けることができないという、二つの意味があるように感じられた。

 

さて、今日はそんな「鍵のない夢を見る」から、ある一場面を描いてみた。必死に人生の求めた幸せを掴もうとする主人公。果たしてその結果は。

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