yura*'s rakugaki diary

つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。

『ブルーもしくはブルー』 読了

今日も山本文緒先生の作品『ブルーもしくはブルー』を読む。

 

ブルーもしくはブルー (角川文庫)

ブルーもしくはブルー (角川文庫)

 

 

先に読んだ『恋愛中毒』、『プラナリア』では「日常」に潜む歪みを描いていたが、今作では「非日常」から始まる日常の崩壊が描かれていた。

 

自分と全く同じ生い立ちだが、違う結婚相手を選んだ二人の蒼子。光と影。親しい人は光側の蒼子しか見えない。そんな二人が、入れ替わって生活をするという、一見すると楽しそうなストーリー。お互い、新しい夫、不倫相手、仕事、家事にと、新鮮で楽しい生活を送る。

 

しかし、そこは山本作品、徐々に雲行きが怪しくなり、あっという間に世界に闇が訪れる。ドッペルゲンガーという、出会ったら死ぬ、という伝承を連想させることで、二人の主人公の暗い未来を暗示させる。

 

片方の蒼子が、偽りの夫婦生活に嫌気がさし、元の生活に戻ろうとするのだが、もう一方の蒼子が相手の蒼子になりすますことで、抵抗する。そこに、怒ると暴力的になる夫や、優しいが不甲斐ない不倫相手などが交わり、日常が崩壊する。

 

日常が崩壊しても、結局は、延々と日常が姿を現して、バラ色の世界などない。それでも、人は生きていくのだった。

 

三日連続で読みたくなるほど山本文緒先生の作品が好きな理由が、少しわかってきた。辻村美月先生の作品が好きな理由と同じで、人の心の繊細さを、美しい部分・醜い部分を差別せずに、これでもか、というくらい説得力のある具体的な描写で表現しているからだ。

 

まさに、辻村作品と山本作品は光と影。どんなに醜いと思った世界でも、最後に暖かい光に包まれるのが辻村作品、どんなに美しいと思った世界でも、かならず綻びが生じて、闇に覆われるのが山本作品。ただ、その根底にあるのは、人は皆、悩みながら生きている、ということだと思う。

 

人生の正解などどこにもない。正解だと思い込むことも失敗かもしれないし、失敗だったと認められること自体が、正解なのかもしれない。

 

悲しい話ばかり読んでいて、人間不信になってしまいそう。そろそろ、頭を空っぽにして読むことができる、明るく楽しい恋愛小説を読みたくなってきた。